活動報告

命を大切にする未来社会を構想するためのワークショップ

命を大切にする未来社会を構想するためのワークショップ

2023年9月7日(木) 14:00~16:00
場所:東光院萩の寺(豊中市)

「新たな防災」を軸とした命を大切にする未来社会研究部門の命を⼤切にする未来社会を構想するための第2回目のワークショップが、2023年9月7日に豊中市の東光院萩の寺で開催され、幅広い活動や研究の事例から「新たな防災」の可能性が示されました。その内容をご紹介します。

 


■New-POD部門長からの趣旨説明(登壇者:堂目教授)

 

New-POD部門長からの趣旨説明(登壇者:堂目教授)

 

本日は、お寺で考える「新たな防災」ワークショップにご参加くださり、誠にありがとうございます。主催組織を代表して、一言、ご挨拶をさせていただきます。大阪大学の先導的学際研究機構「新たな防災」を軸とした命を大切にする未来社会研究部門(通称:New-POD)は、5年前に立ちあげた社会ソリューションイニシアティブ(通称:SSI)というシンクタンクの理念「いのちを大切にし、ひとりひとりが輝く社会」を、2050年、あるいは2100年を見据えて実現しようという理念を共有して、2022年に大阪大学の中に設置されました。

 

なぜ、いのちということを、SSI、New-PODという2つの組織、そして私が問題にするのか?というと、それは近代、ここ200年、300年の社会に対する反省があるからです。まず、その話をさせていただきます。近代、18世紀のイギリス、ヨーロッパにできた、産業革命の時代から現代までの社会の構造、そして社会観はどのようなものか? それは社会の中心に(財、サービス、知識の生産に貢献できるという意味で)「有能な人」がいて、生産に貢献できない人(例えば子供、高齢者、難病を抱えている人、障害がある人、被災した人、外国から来て言葉がわからない人など)、「弱者」と呼ばれる人が社会の周辺に置かれて、有能な人によってつくられる財、サービス、知識の分配を受けている。昨今、包摂という言葉が使われるが、誰が誰に包摂されるのか? これは明らかで、弱者が有能な人に包摂される。弱者は有能な人になってください、高齢者もいつまでも生産に貢献してください、難病や障害のある人も、できるだけ貢献してくださいという社会を私たちは作ってきたと思います。

 

私は2050年、2100年を視野に入れる時に、これで本当に良いのか? ということを問いかけていくべきだと思います。弱者とされている人は本当に有能な人たちから一方的に与えられるだけの存在なのか? 実は有能な人と弱者がいるのではなくて、その時に助けることができる人と助けを必要とする人がいるのではないか? 助ける人が、助けを必要としている人に、財、サービス、知識を提供していくことはもちろん重要ですが、助ける人が、助けを必要としている人から得ているものもあるのではないか? 有能な人は「助けられてはいけないのだ、助けを必要とするようになったら終わりなのだ」という恐れというか「心の壁」を常に持ちながら、近代社会のなかで競争をしている。それは本人たちを不自由にしている。そんな人が助けを必要とする人に接して共感し、手を差し伸べていくうちに、そうしたことから解放され、使わなかった能力を使うようになるのではないか? この5年間、SSIのいろいろな活動を通じて、社会では私の専門の経済学の発想とはずいぶん違うことが起こっていることを知りました。

 

そこで目指したい社会とは、助けを必要とするいのち(いのちとは、人間だけでなくて、自然、他の生き物をふくんでいます)、助けを必要としているいのち、傷ついているいのちを社会の、あるいは私たちの意識の中心に置いて、そのときたまたま何かを持っていて助けることができるいのち、あるいは人間が周辺から、助けを必要とするいのちに向き合って包摂されていく。助けを必要とする人と、助ける人の間には、助け合いの関係があることを実感している、そのような社会を目指したいと思うようになりました。そして、この3年間コロナで学んだことは、誰が助けを必要とする人か、誰が助けることができる人かは常に変わっていく、今日まで健康にいてもコロナに感染すれば、どうしても助けを必要とする人になってしまう。東日本大震災も阪神淡路大震災も同じで、今日まで普通に生活していた人が被災して一人で暮らしていかないとならない、助けを必要とする人になってしまう。けれども、そういう経験を得た人が、別の震災があったときにかけつけて、あなたも生きていいのですよと今度は助ける側になることも実際にある。このように助けるいのちと助けを必要とするいのちが共け合うような社会を、2050年、2100年に実現したいと願っています。

 

助けを必要とするいのちと助けるいのちとの共助社会

 

今、世界の兆候としては、私が願う方向に向かっていこうとしつつあるのではないか、その一つの兆候が、SGDs、2030年に「誰一人取り残さない」社会を実現しようということを、国連が言っています。誰一人取り残さないということは、取り残されている人、取り残されそうな人を中心に考えましょうということではないでしょうか? あるいは、2025年の大阪・関西万博もSGDsを推進しながら、「いのち輝く未来社会」をデザインしようと言っています。どのいのちのことを言っているのか言えば、全てのいのち、特に輝きを失いそうになっているいのちに対して、中心的に見ていこうとしている、そんな万博であると私は解釈しています。

 

このような潮流の中で、本部門(New-POD)は防災を切り口に、いのちを大切にする社会を実現する試みとして設置されました。本部門では、「自然・生態系の世界」、「物理的世界」、「社会関係の世界」、デジタル空間のレイヤーとしての「仮想世界」、共感・信仰・尊厳を含む「心の世界」という5つのレイヤー全体をいのちの世界と捉え、それぞれのレイヤーが近代において分断されているのではないか? いのちの世界が崩れてしまっているのではないか?という問いを発し、心の世界と実世界をもう一度繋げ合わせることで、いのちの世界を充実させていこうという考え方でスタートしました。

 

「実世界」を再編するための「心の世界」と「仮想世界」意義

 

本日、皆様と様々に語り合うことを喜び、感謝して、皆様にとって心開かれる時間となりますことを願い、私の挨拶とさせていただきます。

 

 

 ■東光院及び仏教会による地域連携の取組(登壇者:村山副住職)

 

東光院及び仏教会による地域連携の取組(登壇者:村山副住職)

 

この東光院萩の寺の副住職をつとめております村山博雅と申します。まず、様々なレベルの「地域(コミュニティ)」というところからお話をさせていただきます。この萩の寺が属する曹洞宗という宗派においても、また宗派を超えても、地域的な奉仕、仏教ボランティア活動が、大阪でも活発に行なわれています。特に、様々な「仏教青年会」と言われる団体について申し上げると、大阪には「大阪曹洞宗青年会」という地域の青年会があり、そしてその上に「全国曹洞宗青年会」という組織があります。また「大阪府仏教青年会」という超宗派の組織があり、「全国曹洞宗青年会」と「大阪府仏教青年会」は「全日本仏教青年会」という組織に加盟し、宗派と地域のネットワークを組んで全国のさまざまな活動を発信し、地域での活動をコーディネートしています。さらに、全日本仏教青年会をはじめ、各国を代表する仏教青年会が加盟する「世界仏教徒青年連盟WFBY」という組織があり、私はそこの会長をつとめています。

 

私の思うところはこの、個々の寺院や地域仏教会というミクロ的なものから世界の仏教会というマクロ的なものまで、様々な規模のコミュニティを見渡した上で、そのそれぞれが欠けることのない構造が必要であり、そのそれぞれが成り立たないと、私たちの理想とする「仏教徒共同体」は成り立たないと考えています。この「仏教徒共同体」というのは、政教分離の影響があるのか、神仏分離令や廃仏毀釈の影響があるのかわかりませんが、日本で語られることはあまりありません。実は私は世界に出てから初めて、当たり前のように世界仏教徒共同体(World Buddhist Community)という言葉を使う友人たちに出会いました。その友人たちが、どうしてそういう言葉をいつも当たり前に使っているのかという理由は、その世界仏教徒連盟(WFB)と世界仏教徒青年連盟(WFBY)という組織ができたきっかけからうかがい知ることが出来ます。

 

第二次世界大戦後のアジア独立の機運とともに、仏教徒が、今まで存在しなかった世界的なネットワークで繋がることによって、戦争を回避できるのではないか?世界の平和を実現することが出来るのではないか?という思いが、世界仏教徒連盟の成立を促しました。実は仏教は、イスラム教やキリスト教と違って、神をヒエラルキーの頂点に置いて一つのつながり、大きなネットワークをつくることができる宗教ではありません。もともと神のいない、人間そのものを中心とする宗教であるために、神に頼ることなく、人間個々がそれぞれ善き人格を備え自分の力で幸せになるには、どうすれば良いかという智慧を学ぶ宗教と言えます。そういう意味では「宗教」ではないと言っていいかもしれません。大変哲学的なものと言えます。ですので、仏教徒の信仰とは、それぞれがブッダの説く、人々が幸せになる教えを学び、日々それを実践するというもので、神様のいる宗教と違い、他の神を信じる国々に対して、同じ神を信じるもの同士が連携を組むような意識がありません。仏教徒はそれぞれの国々で個々に仏教を学習し信仰していたわけで、国境を越えてまでつながる必要性というものが全くありませんでした。なので、第二次世界大戦後の世界の平和を実現するために、国境を越えて仏教徒がつながろうとして行われた、世界仏教徒連盟運動は、仏教徒が世界的規模の国際ネットワークを構築する初めての機会になったというわけです。まず、スリランカの外交官で有名な仏教学者マララ・セケラ博士がこの構想を提唱し、そして素晴らしいことに敗戦後にもかかわらず日本の僧侶、仏教会が、この世界仏教徒連盟の構築に最大限の協力をしました。1950年、第1回目の世界仏教徒連盟の総会はスリランカで開かれましたが、1952年、第2回目の大会は日本の東京で開かれました。それは、日本の一般的な価値観でははかれないことかもしれませんが、アジア仏教国の中において、日本という国に世界の平和を牽引してくれるだろうという熱い期待があった証明ともいえるのではないかと思っています。

 

地域から世界まで仏教会という組織の説明が終わりましたので、今度は個々のお寺について話そうと思います。このたびの会場である萩の寺というお寺は、皆様もご存じの東大寺などと同じく行基菩薩にゆかりあるお寺です。1300年前にできたお寺であり、その1300年前に思いを馳せてこそ、今の私たち住職という立場が成り立つわけで、そこに立脚した、地域でのお寺の活動につとめなくてはなりません。この地域という概念も、先ほど申し上げたように、規模や段階を以て、様々な「地域」があるわけで、その様々な規模の地域の中にある個々の寺院の役割について、いろいろな分析が正確に行われることが大変大切だと思っています。

 

 

東光院及び仏教会による地域連携の取組(登壇者:村山副住職)

 

 

この萩の寺は、「大阪みどりの百選」に選定されていて、豊中市に敷地すべてが入っている「大阪みどりの百選」はこの萩の寺だけになります。豊中では大変貴重な自然の緑が、萩の寺で守られていることには深い理由があります。それは、このたくさん植えられている萩の寺の萩は、奈良時代、行基菩薩により一斉に火葬され埋葬された方々のために、残された家族が供養の心を込めて一斉に植えた萩であるということです。この萩が供養花であるからこそ、萩の寺は、人のいのちと心と祈りを引き継ぐという意味も込めて、その象徴である萩を今まで万難を排して引き継ぎ守ってきたのです。1300年前から、人のいのちに対しての切なる思いを、萩という象徴をもって引き継いできたお寺であるということを、まずこのお寺の住職はわからなくてはなりません。大阪みどりの百選として、ただ緑を守っているお寺ということではなく、いわゆるSDGsなどの観点から自然保護を謳うということだけではなく、持続可能性についてもさらに深い哲学を元に、仏教の智慧を以て追求しているところを感じていただきたいのです。これが萩の寺の何よりも素晴らしいところであり、その1300年がただ1300年ではなく、継続して住職の思いを引き継いだ1300年であると思っていただきながら、お寺や住職と付き合って頂けると、大変深いつながりが、地域で生まれてくると思います。

 

そんな中で、ひとつ仏教の思想を紹介したいと思います。よく「三世」という言葉は聞かれるのではないかと思います。これは「過去」「現在」「未来」を指す言葉です。実は私たちがよく使う言葉に「三時」という言葉があります。この三時というのは、曹洞宗では、道元禅師が本当に大切な時間の観念として 正法眼蔵に紹介しています。今があり、今の次の世代があって、その次の世代までのことを考えて、今何をなすべきかを考えなければならない。本来は来世と来来世という意味合いなのですが、かみ砕いて考えるとそれはつまり、この世代というものについて、2世代先を見据えた上で、私たち自身の今の在り方を常に考えていかなくてはならないということを、鎌倉時代から日本に伝えてきた言葉なのです。この考え方があるからこそ、この萩の寺の萩は守られてきたのではないかと考えます。

 

私はここに、善きものを2世代先にまで、どのように承継していくか考えなさいというメッセージ感じます。それには次の世代を担う人物が重要になります。今そこにいる方の切なる思いをどのように自分の中に宿し換えていくか、そしてその思いをさらに次の方にどう引き継いでいくかということを、次の世代の人物も考えながら生きていかなくてはなりません。このそれぞれの世代を担う人物たちによる三時という観念の連鎖が、何においてもこの世界を善きものとするための最大の条件であるということ、これが日本の伝統仏教の精神の一つだと、今日は覚えて帰っていただけるとうれしく思います。

 

このような観点から考えると、今の話はSDGsにも関係してきますので、もう一つだけ紹介しておきたいことがあります。それは、ご存知の方もいらっしゃると思いますが、タイの前国王が提唱された「足るを知る経済」についてです。国王は、仏教の「足ることを知る」という中道思想に根ざした経済政策を、実際に国策に活かしてタイの開発を行われていました。今はプミポン国王の最大の遺産としてタイ国で引き継がれていると考えられるものです。ぜひまたそれぞれで調べていただければと思います。

 

仏教徒の共同体について話を戻します。この共同体には様々な共同体があります。仏教会などに代表される仏教の共同体とは、日本の国の感覚だと「お坊さんだけが行っている」と思われる方が多いかと思いますが、海外における仏教会活動というのはほぼ一般の方々が行っている活動になります。直接的に社会で支援活動をしているお坊さんはほとんどいません。というのは、上座部をはじめとする僧侶は生産活動を戒律で禁止されています。直接的に社会を支援する活動は難しく、だからこそ代わりに聖なる象徴として奉られる存在であるとも言えます。スリランカもタイも、実際に仏教会活動を行っているのは一般の信者の方々になります。韓国や台湾など大乗仏教圏でも、リーダーはお坊さんですが、お坊さんが集団で直接動くようなことはほぼありません。お坊さんのもとで一般の信者の方々がチームを組んで一生懸命ボランティア活動をされているというのがアジア全体の一般的な状況であり、日本は特別な状況であるということを知っておいて頂きたいと思います。

 

この大変特殊な日本仏教の状況は、具体的にはあまりアジアで知られることはありませんでした。そんな中で起こったのが東日本大震災です。この東日本大震災をきっかけに、この10年以上の間、私たちは日本仏教の社会参画性について発信し続けてきました。そしてその社会活動が直接僧侶によって営まれているということを紹介して参りました。

 

コロナ禍のあと初めて開催された、バンコクの世界大会のテーマは“Buddhism in the Time of Crisis”であり、パンデミックの間の危機的状況をはじめ、仏教はそんな中で何が出来るかということについて話し合われました。先ほどの動画はその場で発表されたものになります。僧侶の姿をしてない日本の僧侶による社会支援活動、これはもうアジアでは信じられない活動です。まず僧侶が僧衣ではなく普通の服を着ることはありません。これは日本にしかない僧侶の姿です。そして、その僧侶がTシャツを着てスコップを持って、災害支援活動を直接行ってくれている。私たち一般人の所まで降りてきてくれて、率先してそのようなボランティアに身を投じてくれている。そのことに感動して涙を流してくれる若い方々も海外にはいらっしゃいます。世界とアジアの仏教会における、こういった日本人にとっては特殊な価値観というものも是非とも知った上で、日本仏教を見直していただければ嬉しく思う次第です。

 

今、日本仏教には、たくさんの仏教コミュニティがあります。日本における仏教活動は僧侶と一部の篤信の仏教徒だけによるものとなってしまいますが、その核となるべきものが、日本伝統仏教の59宗派と、各都道府県37仏教会と、色々な目的を持って集まった9つの仏教団体、計105団体、つまり仏教コミュニティが集まって、「公益財団法人全日本仏教会」という組織です。そして、この全日本仏教会をはじめ、各国を代表する204の仏教会が集まって、「世界仏教徒連盟WFB」を作っています。前出の通り、これを活かし切ることが、世界平和実現のための、大変大きな私たちの使命であるわけです。

 

青年会も一生懸命頑張っています。全日本仏教青年会は、13団体が加盟しています。行動的な青年僧侶が、個々のお寺から始まり、地元地域の活動しながら、さらに都道府県、全国規模のコミュニティである全日本仏教青年会でも活動していく。いろんな宗派が集まって、さらに広く大きな活動になっていく。もともとの地域における力ある活動が、全国に発信されていくのが全日本仏教青年会です。そしてその先で、世界仏教徒青年連盟WFBYに接続することとなります。世界仏教徒青年連盟WFBYは、世界の青年仏教徒の深い交流とそれによる世界平和の実現への貢献を目的とする団体です。世界において戦争をいかに回避するかということも大きな目標に置く会であり、この組織が活発に動くことは、仏教青年会活動を世界的な規模で集約するためにとても重要になって参ります。

 

世界仏教徒青年会WFBYでは、国際仏教徒青年交換プログラムという、各国から若い方々を一つの国に集めて、その国の文化や仏教に接しながら、お互いの相互理解を深めるというプログラムを継続して開催しています。それらのプログラムにはコミュニケーションが必要不可欠であるわけですが、国際交流に参加する若い人たちはお互い共通語とする英語は母国語ではありませんので、うまく喋れる人達ばかりではありません。しかし、彼らの間では、仏教というひとつの哲学、ひとつの思想、価値観を軸にした深いコミュニケーションが行われていることを、私の経験から実感しています。この若い方々が、仏教の慈悲の心を持ちながら、将来、世界で、各地域で、社会的に活躍できる立場に上がった時に、そのコミュニティでどのような働きをしてもらえるのだろうかということを、常に希望を抱きながら見守っています。

 

コロナ禍の間には、仏教会でも分断が叫ばれました。各国で、それぞれの地域の一番身近な自分の隣の方々が大変なことになっている。医療的な問題だけではなく、経済的な困窮状態、そして差別にいたるまで様々な困難が起こったコロナ禍です。海外では日本よりひどい状態もみられたと思います。その状態でそれぞれが、自分たちの国だけを、自分たちのまわりだけを見ていくことは仕方がないことです。一番広いコミュニティである世界連盟は、パンデミックが収束するまでという思いで、ほとんどコミュニケーションを取ることができない状態となりました。若い人たちはまだインターネットがあるのですが、特にシニアの方々はインターネットのオンライン会議を使うことから学ばなくてはいけませんでしたので、全く会合も開くことが出来ず、コミュニケーションを持つことができなくなりました。

 

青年会の方も、いくらオンラインでコミュニケーションができても、それぞれの個人的状況を気遣いながらのコミュニケーションであり、昔ながらの積極的なコミュニケーションにより組織への協力を仰げるような状態ではありません。そんな状態が1年以上続いているのです。そこで一念発起し、大変な事業ではありましたが、会長として日本が牽引する形で、オンラインによる初めての国際仏教徒青年交換プログラムを開催させて頂きました。Zoomを使いながらYouTubeとリンクし、インターネット上で仏教を軸に置きながら、諸宗教対話も交え、ポストコロナ、パラダイムシフト、SDGs、アントロポセン等について3日間様々な先生方に基調講演をしていただき、毎日その後、それぞれテーマを設定しZoom上でプレゼンテーションとグループディスカッションを繰り返しました。各国から百数十名のユース参加者を数え、基調講演の一般参加者を含むと全参加者は五百名を超えました。最終日のプログラム終了後は、Zoom上でグループ編成を入れ替えながら、自由に交流できる時間を作りましたが、終了時刻が3時間超過するほど盛り上がりました。コロナが終わったらみんなの国で会おうねという気持ちで、それぞれのユース参加者がお別れしたプログラムでした。言語の関係も含み大変複雑な準備も必要なプログラムでしたがこのような試みを、プロトタイプとして残せたことは、一つの財産として、今後のあらゆる国際交流事業に引き継いでいきたいと思う次第です。

 

こちらは、2013年、東日本大震災の復興支援のために開催した国際仏教徒青年交換プログラムです。このころ、国内からも海外からも福島の風評被害があまりにもひどかったことはご存じだと思います。さらに、海外から日本全体に対する風評被害があったこともご存じだと思います。世界各国の皆様方に、福島の事象を正確に理解していただくということを目的に、福島において全日本仏教青年会主導で国際交流プログラムを行うことは大変難しいことでしたが、私たちも放射線について正しく理解しながら開催地を福島県いわき市に設定し、世界中に募集しユース参加者を募り、おかげさまで120名の方々が参加して5日間のプログラムを無事終了することができました。福島がこれほどにまで困難な状態であるにもかかわらず、被災地が、被災された方々が、いかに頑張っているかということを伝えるべく開催したプログラムでもありました。こういった深い意味を持つ国際交流を様々な形で続けていくことは、私は各国やアジアの仏教コミュニティ、そして世界の仏教コミュニティを形成することに大変貢献できるものであると確信いたします。

 

最後に、私たち仏教者には社会的な仏教活動やいろいろな勉強、参学も大事ですが、やはり何よりも大切なのは「祈り」であると考えます。祈りがあるからこそ、私たちの世界が成り立っていることを前提に、私はこの仏教自体も生まれてきたのだと思います。そしてこの祈りというものの発露として仏教者の根底に宿るものが「菩薩道」という言葉です。菩薩という概念を念頭に置いてこそ、私たちは仏教徒であり大乗仏教の実践者となります。祈りを実践することによって、そして祈りをコミュニティで広げていくことによって、理想的なわたしたちの地域や社会が形成されます。私たち仏教徒としての、僧侶としての最大の誓願は、祈り続けることであると、私は考える次第です。ご清聴ありがとうございました。

 

■宗教施設を活用した防災活動の紹介(登壇者:稲場教授)

 

宗教施設を活用した防災活動の紹介(登壇者:稲場教授)

 

地域資源としてのお寺や神社、宗教施設が災害時にどのような役割を持っているのかという話をさせていただきます。東日本大震災の時に、私自身も現地に行きました。先ほど、村山副住職様から、曹洞宗の青年会および仏教徒の活動の話や、仏教者にとって「祈り」が最も大事という話がありました。やはり祈りがあるからこそ、正しいアクションができる。東日本大震災で本当に多くの宗教者の活動がありましたお寺や神社は百箇所以上、避難所になっていました。400人以上が三ヶ月間避難生活するという宗教施設もありました。

 

そしてその後、熊本地震、西日本豪雨、九州の水害でも各地で宗教施設が避難所になり、また、今日は吹田市の社会福祉協議会からお越ししてくださっていますけれども、宗教者と社会福祉協議会が連携して、被災者のために活動しているということがありました。熊本地震でも宗教者と社会福祉協議会との取り組みがありました。岡山には金光教の拠点がありますが、西日本豪雨でも、大阪大学の学生、宗教者、社会福祉協議会が一緒になって被災者のために活動に取り組みました。社会福祉協議会が宗教者の支援活動に満足しているという回答が8割近くある。これはなぜかというと、やはり宗教者は坐禅でもそうですが、祈りがあって行動を起こす前にマインドセットがきちんとできている。そういったことが被災地に入っての対応に、この方たちは何か違うなという印象を与え、満足度にも出ていると思います。

 

今、全国で、行政が指定した避難所、公民館等で浸水リスクのある避難所が27%もあり、実際に被災した避難所もあります。日本全国で避難所が足りないというのは、実はこういった現実もある。令和2年7月の熊本県での豪雨では球磨川が氾濫して、神瀬地区では公民館が被災し、お寺や保育園が緊急避難所になりました。

東京では、4500を超えるお寺、神社、教会等があります。それを災害時に、帰宅困難者の対応に活用できないかということで、東京都宗教連盟、小池都知事、中央防災の方で、連携協議が進められております。また、内閣府も、お寺や神社を災害時に活用できないかということで、取り組みを進めております。今年5月のデータでは、災救マップ(未来共生災害救援マップ https://map.respect-relief.net/)に登録されているデータを見ると、4422の宗教施設が避難所、緊急避難場所、あるいはその他の町内会との協定などによる自主避難所として、既に地域の災害時の拠点となっています。

 

ところが、こういった話をすると、お寺や神社は建物が古いのではないか、大丈夫か? との質問があります。残念ながら実際に熊本地震や大阪府北部地震、今年5月の能登の地震でもお寺や神社が被災しています。ところが、熊本の益城町の総合体育館のアリーナ、前震では大丈夫だったのですが、本震で天井が崩落しています。ここは指定避難所です。行政が指定した避難所でも、どこで地震が起きるかによって、こういう状況になる。また、熊本の宇土市役所は、災害起きた際に災害対策本部を設置して地域の方のために動かなければいけない拠点ですが、建物が崩れそうな状況になりました。お寺や神社は歴史があって建物が古いから危険ということではなく、避難所の体育館や市役所の建物も被災しているということです。つまりどこで地震が起きるか、どこで災害を起きるかによって。被災してしまうこともあれば、大丈夫なこともある。

 

そして、全国にある18万の宗教施設ですけれども、被災していなければ人は必ずそこに逃げていきます。自分の家、小学校、公民館が被災した時には、人が難を逃れて逃げてくる。お寺でも耐震補強が進んでいます。東京でも、我々が調査をした結果、宗教施設の34.6%が既に新耐震基準を満たしている。井戸水がある施設も2割ある。災害時において、防災、共有の拠点としての可能性がある。また、大きなお寺だけではなくて、人があまり大人数避難できない小さなお寺は医療的ケア児を数名受け入れるとか、そういった形の取り組みもある。宗教者と社会福祉協議会の連携、また避難所になっているお寺や神社、こういった中で、利他的な支え合いが起きている。避難所には井戸水や米などの物資が必要であり、またお金も必要です。災害救援活動においては、浄財という形で檀家さんが住職にお金を託して、それが様々に使われている。宗教施設の災害時での役割は非常に大きなものがある。平常時からお寺に人が集う、そういった形で新たな縁作り、ソーシャルキャピタルが作られ、そこにレジリエントな社会があると思います。

 

まとめます。先ほど堂目先生から、分断という話がありました。共助・支え合いと、力を持っている有能な人が大変な人を取り込むではなく、一緒になって取り組んでいく共生社会をどう作っていくのか、それには、盲点になっているつながりの可視化が大事だと私は思います。今まで知られていなかった地域資源としてのお寺、また、知と人と物のキュレーション、地域には台風があったらお寺に逃げるとか、そういった各地域の知恵があるわけで、そういったものも活かしていく。そして、専門家だけが上から知識を民衆に伝えるという従来のやり方ではなく、ともに取り組む、共創していく、多様性によるイノベーション、ダイバーシティドリブンイノベーション(ddi)、これが従来のテクノロジードリブンイノベーションと一緒になって、利他的な共生社会をつくっていくということが今の時代に必要だと考えています。

 

また、当日は参加者全員で座禅体験を行ったともに、ディスカッションにおいては、「防災時には自助と共助が最も大切であり、公助を期待しすぎてはいけない」「お寺の耐震工事等のための公的資金を考えてほしい」「規模が小さいお寺でも、医療的ケア児数名の受入れを行っているお寺がある」「新宗教教団の建物も活用できるのではないか」「災害時のお寺の利用には、それぞれのお寺の特徴を理解したアプローチが必要」「地域の人々とお寺との普段からの関係構築が大事」等の意見や事例紹介等が述べられ、議論が深められました。

 

座禅体験の様子

座禅体験の様子

 

 

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